2006年3月7日火曜日

半導体物語(その4)

吾輩は有機半導体である。教科書はまだない。
だれが使い出したか頓と見當がつかぬ。(訳者注:トランジスタとしては工藤先生が先駆者です。)何でも暗薄いじめじめした研究室で合成された事だけは記憶して居る。吾輩はこゝで始めて人間といふものを見た。然もあとで聞くとそれは大学院生といふ人間で一番獰惡な種族であつたさうだ。此院生といふのは時々我々に電流を流しすぎて焦がすといふ話である。然しその當時は何といふ考もなかつたから別段恐しいとも思はなかつた。但彼のスパチュラでスーと持ち上げられた時何だかフハフハした感じが有つた許りである。
有機導体や半導体材料は我が国の甚だ得意とするところでもある。導電性ポリマー薄膜の合成で白川先生にノーベル賞が授与されたのはまだ記憶に新しい。吾輩の仲間の実用化研究でも、まあ世界の先頭を行つていると思つてよい。
抑も世の中の物質といふものは、金属でなければ心の持ちやうでなんでも半導体である。然らば吾輩の仲間がいかに電流を通し難からうが、半導体だと思ふ者あらば半導体と言つて差し支えなからう。
何しろ、有機分子そのものは閉殻構造である。分子の単位で電子のエネルギー準位が粗方決まつている。然るに、アモルファスであらうが結晶であらうが、或いは多少の不純物が入つていようが、無機の半導体のようにダングリングボンドに悩まされるでもなく、半導体としてキャリアを流すことを得るのが自慢である。
其のやうな性質のお陰で、簡単な設備でもデバイスと言ふものを成し得る。なんでも金で計るのは当世の悪しき習慣であるが、無機半導体で仮にもデバイスを作るのであれば億の単位の設備が必須である。然るに吾輩であれば、ひとまず幾千万円かの出費でどうにか格好が付くといふものである。これは決して貧乏研究室(訳者注:うちの研究室には総額何億かの設備がありますよ。)に優しいと言ふだけではない。低コストで大面積素子を作つて兎も角彼方此方で使おうといふフレキシブルエレクトロニクスなるものには欠かせない性状であると言へよう。
世の中に有機物質は五万とある。当然半導体として使えさうなものも数限りない。それらを組み合わせて、色々な工夫のし甲斐があるのが嬉しいところである。しかも、クラーク数は兎も角、生物圏にありふれた元素を使うので資源的な心配も少なく、燃やせばほとんど二酸化炭素や水になる。
又、植物の光合成が非常に効率の良いことからもわかるやうに、有機色素間の電荷移動を使った光電変換は分子スケールでは極めて効率が高い。これをうまく使えば高感度でしかも特定の色に感度良く反応するセンサーにもなる。太陽電池とやらも作られているさうである。数限りない仲間の中には光るのが得意な輩も沢山ある。
難点と言へば酸素を吸ってアクセプターや電子トラップが出来易いことか。御陰でn型の半導体としては一筋縄ではいかないのは難しい。
いまだ海の物とも山の物とも分からないと言われれば否とは言へぬが、世の中のために役に立つ日が来るのを夢見て研鑽に励んでいる。

MN
漱石先生へのトリビュートとしてみました