今日、日本表面科学会の会誌「表面科学」の編集委員会のために、東京工業大学附属科学技術高等学校の敷地内にあるキャンパス・イノベーションセンターに出かけました。
ここは、千葉大工学部関係者にとっては聖地でもありますが、工学部生の人たちにもあまり知られていないのではないでしょうか?
敷地の角にこんな碑が立っています。
東京高等工芸学校創設の地
港区芝浦3丁目3番6号 東京工業大学付属科学技術高等学校内
東京高等工芸学校は、工業製品を美しく、かつ機能的に創造する技術を学ぶ高等教育機関として、大正10年12月この地に創設され、戦時下の昭和19年3月東京工業専門学校と改称されました。
常に日本の工芸産業教育の指導的地位にあり、また多くの留学生を教育するなど、工芸技術の発展に貢献し、その出身者は「芝浦の出身」という愛称で重用されました。
また、東京高等工芸学校は、わが国ラジオ放送発祥の地でもあります。大正14年3月には、その図書室から日本で最初のラジオ電波が送り出され、日本放送協会は当地に「放送記念碑」を建立しております。
しかし、昭和20年5月の空襲により、校舎、工場等が灰塵に帰したため、戦後同年10月、学校当局は当地での再建を断念し千葉県松戸市に移転、昭和24年の学制改革により新制大学の千葉大学工芸学部となりました。昭和26年、工学部と改組、昭和39年千葉市弥生町に移転しましたが、当地に根ざした「実利と美とを一体に」という建学の精神は、脈々と受け継がれています。
後方に見える青銅と黒御影石の碑は、当地にあった東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)を記念し、工芸産業教育発祥の地として同窓生有志が建立したものです。
聖火を中心にマーキュリーの羽根をあしらい、それにハンマーと筆を組み合わせた校章をかたどっています。
平成17年10月 港区教育委員会
そう、約90年前に千葉大工学部のご先祖様が生まれた地なのです。
MN
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