2月14日の朝日新聞に川上未映子さんのインタビュー記事が掲載されていました。
川上未映子さんってのは、高校はデザイン科で、シンガーとしてプロデビューし、突如として詩を出したかと思うと小説家として芥川賞を取ったマルチな人です。それに飽きたらず、最近キネマ旬報新人女優賞も受賞しています。
記事のテーマを端的に表す彼女の語りを二カ所引用させてもらいます。
「子供のころから今まで、こういう人になりたいとか、何になりたいとか、まったくなかったです」
「(前略)自分が特別でもなんでもない、ただの労働力としての存在にすぎないということを知らされます。そこから、自分ができることはなにか、ということが立ち上がってくるのではないでしょうか」
まったくもって同感なので、さらには、ちょうど修士院生の人たちが就職活動をしている最中でもあるので、自分の過去を晒しながら「将来」なんてものは結構そんなもんだということを書いて見ようと思いました。このブログでは自分自身のことはなるべく書かないようにしているんですけど、今回は例外。
いきなり結論めいた文から入りますが、どうも幼少時まで遡ってみると、私もずっと「おくりだすひと」になりたかったらしい。
でも、川上さんとは才能の居場所が(量も?)違ったようで...まあ、紆余曲折をほとんど全部書いてみます。
そろそろ色気づいてくる小学校の高学年ごろ、やや大人向けの小説などに興味を持ち出すと同時に、友人に影響されて、SF系ではありますが短編小説やショートショートを書くのにハマりました。ごく短期間マンガも書いてみたけど、これは、自分には壊滅的に絵心が無いことを思い知らされただけですぐ退散しました。小説のほうも、小ネタは良いのですが、残念ながら長文になると書いている最中に飽きるので断念。
どうやらこのころから、何かに興味を持つと、すぐさま「うけとるひと」ではなく「おくりだすひと」になりたがる習性が始まったようではあります。
中学校のころ、当時流行った電子工作やらBCL(30代以下の人は知らないでしょ?)やらラジコンカーやらにも手を出しましたが、ちょうどロックやポップスにハマる頃でもあり、ギターを持って歌い始めました。友人と一緒にフォークだかロックだか判らない怪しいバンドを始め、文化祭でステージに立ったり、コンテストなんかにも出たりしてみたんですが、その結果、どうやらボーカルの素質が無いと思うに至り、これもいったん終了しました。
何の変哲もない公立進学校に漫然と行っていた高校生のころ、電子音楽にハマってシンセサイザーをいじってみたり、自転車にちょびっとだけハマって山の上の高校までの最短タイムを出すべく連日もがいて、ぐったりした挙げ句一時間目を棒に振ったりしていましたが、このときに一番ハマったのはコンピューターのプログラミングでした。ちょうど、貧相ながらグラフィックが扱えるPCが出だしたころで、コンピューターショップに入り浸りでゲームのプログラムを書いたり、某PC雑誌のコンテストに応募したりしていました。このとき磨いた腕は、大学に入ってから勤務時間の自由がきくアルバイトとして活かされたので、数少ない短期的な実益が伴った努力でした。
将来ソニーに入ろうと思って数学も物理も嫌いなのに電子系に進んだ大学学部時代、再び音楽に振り子が振れて、友人とバンドを組みキーボーディストのまねごとをしたりしました。ご心配なく。ボーカルの素質皆無なのはすでに悟っているので、歌いませんでしたよ。その友人ってのが結構才能のあるやつでオリジナル曲を次々生み出すので、それらをひっさげてライブをやったり、コンテストやオーディション、果てはラジオの公開番組で演奏するなんて、今考えると恥ずかしいことを体験させてもらいました。でも、うまいヤツ、才能のあるヤツが掃いて捨てるほどいるんですよ、あの世界には。
同時期に、オートバイが第一番目の趣味の地位を占めるに至ったのですが、これだけは未だに趣味として続いています。修理や改造するのも、速さを追求して乗るのも、ノンビリ旅をするのも、何をしても楽しかったですね。もちろん、オートバイが夜でもいじれるように、下宿は広い玄関のあるボロ屋を選びました。このころから一番好きなことは仕事に絡めないと決めていたので、就職を考えるときもオートバイメーカーや自動車メーカーは除外しました。
さて、いよいよ大学四年生になって、進学せずに就職しようかと考えていた(実際、某楽器メーカーの入社試験も受けた)のですが、卒研を始めたとたんに研究にハマってしまいました。「こんなところに自分のやりたいことがあった!」って思ったのです。何しろ、誰も知らなかったことを明らかにしたり、誰もなし得なかったものを実現したりできるのですから。しかも、その結果を世界に向けて発信したり、みんな(といっても大抵は同業者ですが)の前で発表できるのですから、これも「おくりだすひと」です。
あわてて最低限の専門科目を勉強し直して院試を受け進学し、寝る間も削って(でも食事とデートの時間は削らずに)研究に没頭しました。修士二年間の成果は、筆頭こそ1本ですが論文3本になりました。ところが、修士二年になってなぜだか分析技術者になりたいと思い、化学系メーカーの受託分析部門に就職しました。なぜだかってのは乱暴ですね。ちゃんとあちこちの会社見学に行って、いろんな人の話を聞いた上で考えた結論です。分析屋ってのは研究開発の舞台では裏方ですが、いろんな会社の研究開発担当の人たちと面白い仕事ができる上に、最先端の分析機器を使いこなしますから、その範囲で好きな研究をしてその分野の第一人者として世間に対して発信もしやすいのです。
ただ、如何せん、そういうところに長年いて年を取ってくると、どうしても売上げ管理が仕事に占める比重が高まってきます。「かねをかぞえるひと」になってくるのです。
そこで30代半ばに方針変更した結果、現在に至るというわけです。
大学所属の研究者ってのが予想以上に「かねをあつめるひと」だったのには面くらいましたが...
ここまで書いて、頭の中であれやこれやと勝手に思うのはいかに簡単で、それを人に読んでもらえる文章にするってのがいかに難しいかを改めて実感しました。よくエッセイをあちこちに書いている学者やミュージシャンがいますが、人に読ませる、さらには金を払ってまで読もうと思ってもらえる文章を作るってのは本当特殊な才能が必要なんだと思います。そっちを仕事に選ばなくってよかった...
もしあなたが「自分は何者か」とか「将来何になりたいか」を問われて困っているなら、まずは目の前にあるあれやこれやを片っ端から一所懸命やってみて下さい。あなたが何者かは、世間が決めてくれるはずです。
MN
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