2008年5月27日火曜日

国語力は理系を救うか!?

何週間かぶりに土日まるまる休みになったので、なんか軽い読み物でも読もうと「チーム・バチスタの栄光」という本を読みました。

この本、海堂尊さんという本業お医者さんの小説家としてのデビュー作で、阿部寛主演で映画にもなったので知っている人は多いでしょう。ご本人が積極的に本名や経歴を公表されてはいませんので、あくまで未確認情報ですが、千葉大医出身の方のようです。ちょっと親近感がわきますね。

『このミステリーがすごい!』大賞を受賞しているので、出来具合は保証付きだったのですが、期待は裏切られませんでした。もし、まだ読んでいない人がいたらお勧めです!
なにしろ、この2年間で至るところに書評が出たベストセラーですから、ごとき理系脳がここで小説そのもののありきたりの感想は書きません。いや、書けません。(^^;
ただ、ちょっと派生的な感想を持ったので、まあ戯言ですがここで書いておこうかと思います。

何を隠そう、は「いわゆる理系の人が書いた小説マニア」なんです。この前のSPring-8からの帰途では東野圭吾さん(氏は大阪府大の電気工学出身です)の本を読んで過ごしましたし。
何故こうなったかは....小説ではありませんが、幼少時に受けた手塚治虫の影響でしょうかねぇ。たぶん、日本に10万人くらいはそういう人いるはずです。(根拠無し)
これまでにも、医学部を含めた理系学部を卒業した作家や現役大学理系教員などの方々が書いた小説を沢山読みましたが、実のところ結構ハズレを引いています。中には、1/3くらいで、あまりに苦痛でもう読むのを断念したものまであったりして。

ところが、このチーム・バチスタの栄光は大当たりでした。これを読んですごいと思った点は、多くのミステリー小説にありがちなアイデア命でつっぱしるのではなく、登場人物の性格描写がなかなかに鋭いところです。マンガチックに少々デフォルメがきついのですが、それぞれの性格から「こいつが犯人だとすると犯行に至った動機はなにか?」というのを想像する楽しみがあって、そこそこの長編ながら飽きません。ジェフリー・アーチャーに匹敵するか?と思います。唯一第一人称で書かれた主人公の心理描写もスパイスになっています。
もっとも、一部の純文学みたいに、「全編かけて主人公の性格描写しただけやんけ!」っていうのは嫌いなんですけど。

ここで独断に走りますが、この小説の出来具合って医学部の人が理工系の人より「国語」が得意なことと関係あるんでしょうかね。
あくまで一般論ですが、医学部の人って、入試でもれなく高得点をとらないといけないからか、理工系よりも国語の得意な人が多いんですよね。国語が苦手な人の特徴って、おそらく小説について論じることが嫌い、中でも「ここで主人公はどのような心情であったか?」なんて問われると「けっ!」と思う人が多いんじゃないかと。かくいうも、高校時代に、小説について感想文を書かせてそれを採点することがいかにつまらない思想強制であるかという点において国語教師に戦いを挑み、と書くとすごいですが、結局のところ夏休みの読書感想文提出を拒んで何日か舌戦を繰り広げた挙げ句、その年の現代国語の成績に10段階の3を付けられたことがあります。
あれ?でも、そのとき共に戦った同志はその後東大理IIIに行ったっけ?
まあ、学問に対する好き嫌いと、必要に迫られたらテストはこなすってのは別物ということで。

話を戻すと、というか、さらに転ばすと、は工学部でも国語の入試点数で足きりしてみたらどうかと思うのです。それも、古文漢文ではなく現代国語の点数で。
評論文では、物事について論理的に説明したり、そのような文章を論理的に理解する能力が問われます。これはもちろん、理工系に必須の能力ですから重視すべきです。一方、小説では、つまるところ、人の心の機敏を読みとる能力が問われるのではないかと思います。一般的に理工系の人はここが弱点であることが多くって(統計的にね)、本音の人付き合いでは問題なくても、この弱点のために社会で文系の連中相手に微妙な駆け引きで不利を被っていることが多いのではないかと。国語の能力で足きりしたら、平均値として理工系の社会的地位が上がるのでは?と思ってみたりしたんです。
って、こんなふうな単純化還元主義が、そもそも人間を論ずるに間違った考えなのかもしれませんけどね。

MN